結果
2015年6月15日(月)〜8月8日(土)
に募集した第13回自主制作映画コンテストには
ドラマ・ドキュメンタリーの76作品の応募がありました。
審査員と実行委員による審査が行われ、下記のとおり受賞作品が決まりました。
大賞
該当なし
審査員特別賞
監督:小平 哲兵 作品名:「父の日」(26分)
審査員賞
大林千茱萸賞 監督:河合 健 作品名:「羊は楽園を探す」(39分)
柘植靖司賞 監督:坂口 平 作品名:「なまくら NAMAKURA 京在日記秘録」(48分)
古厩智之賞 監督:佐藤 美百季 作品名:「カモン・ボルテージ!」(21分)
受賞作品収蔵について
受賞作品は上田市マルチメディア情報センター映像ライブラリーに収蔵しています。
受賞作品紹介
審査員コメント
第13回自主制作映画コンテスト総評
審査員:大林千茱萸
今年度の作品に多く観られた特徴のひとつ目は、劇中に挿入されるライブシーンや歌を唄う場面。PVもしくはMVよろしくダンスや振付と共に器用に編集している作品もあれば、映画の主題とは無関係に永遠に続くと思われるほどノーカットで歌い続ける作品も。15分以上の作品が応募条件であるのが本映画祭の特色でもあるわけだが、音楽シーンは決して映画の「間」を持たせるためにあるわけではない。音楽場面を入れることで共倒れになるような作品も見受けられた。ふたつ目は、登場人物が「自分」のことしか考えない内向的な内容の増加。みっつ目は、戦争の影。そして9割の作品に共通していたのが画面のスケール感。自宅のパソコンなど小さな画面で編集していることの影響で、大きな画面に映ることを意識していないため、100インチほどの小さなスクリーンに映すのも冷や冷やするほど画面の中がスカスカしている作品が目立った。予算に限りのある自主映画なので必要なモノを揃えられない実情は痛いほどわかるが、カメラをきちんと据え、ビデオの利点を活かしてモニターの中を少し気遣ってから撮影を進めるだけでもかなり改善されるはず。演出とは役者の演技だけに向けられるものではないことに気付いて欲しい。そのことをふまえた上で、個人的には『ジダンダでは前に進めない』『心の貧しい者』『マネーのトラッシュ』『人虫』『かべづたいのこ』『蟻の一穴』『ドラゴン&ドラクル』『デイドリーム』『あかべこ』、そして『父の日』は、丁寧に撮られていると思えたが、すべてを代表して大賞とするには突出する理由が見あたらなかった。けれど《映画祭》であり“祭り”と付くからには、大賞がないというのも無粋であることから、『父の日』を《審査員特別賞》とさせて戴きました。
審査員:柘植靖司
残念ながら、今年の審査会ではどの審査員からも何か新しいものと出逢った驚きや、作者の情熱に驚かされたという熱い意見が出ませんでした。私自身、今回で三回目の審査員を務めさせて頂きましたが、正直、今年の作品群は退屈でした。
第三者に自分が作ったものを見せるという行為は、ある種のストリップだと思うのですが、どの作品も脱ぎ切っていない。見て欲しい、見せつけてやろうという気概を感じる作品がなかったように感じました。観客の視線を意識しながら見せ方の技術を磨くのは大切ですが、そもそも見せるべき自分の体に向き合っていないのではないか?たいして踊りも上手くないのに、恥じらいもなく一番上のドレスをぱらりと落としただけでペコリと頭を下げてステージを去っていく…そんな印象でした(…すみません、ちょっと例えが下品になりました)。
人に自分の作ったものを見せるという行為は結構勇気がいる行為のはずで、その勇気を奮い立たせる強い何かがないと、返って恥ずかしい行為になります。
自己顕示欲でも、問題提起でも、そしてジャンルは何でもいいのですが、強く自分に向き合って「やむにやまれず作りました。これが今の限界です。見てください」という作品に出逢えることを期待します。・・・踊りの上手さはそんなに期待していませんから。
審査員特別賞「父の日」について
審査員:大林千茱萸監督の「いま、どうしてもこの作品を撮るのだ」という“ほとばしる想い”が、技術のすべてを超えていた。映画はときに、スクリーンの裏に潜む、作者の想いのうねりを照らし出し、確かな手応えを映す。ただ「想い」以外の部分、例えば全体の演出やシーンやカットはコントロール未満の箇所が見受けられ、未知の可能性という不確かで危うい感触が常に漂っている。 夜の海、暗い海の波しぶき、波のまにまに漂う船、漁船の灯、仏間、仏壇と青年、そして映画全体を通す色を抑えたトーン…と、心を吸い寄せられる場面もあったが、なによりも全体を覆うその監督の感情が、観る者に訴えかけ、伝わり、その想いにただ呑み込まれることに甘んじようと思える瞬間も多く、観る者に切なさを求めつつも、無言で肩を掴み、応援したくなる作品。
審査員:柘植靖司
最終審査に残った作品群の中で、本作は作者の確かな体験、経験に基づいた力強い表現力を持ったカット、アングルが随所に見受けられ、これを描かざるを得ない(これしか描けない?)という作者の心情が最も伝わって来ました。 作品としては、とても荒削りな印象を受けました。しかし、一つの作品を作り上げる上においては、作者が拠って立つ芯となる『強い思い』が必要であり、それが見るものに何事かを訴えて来るものだと思います。本作には技術的な稚拙さや映像制作の経験不足、様々な困難を乗り越えて、作者が思いを伝えることに苦闘した痕跡が確実にあり、その健闘を讃えたいと思います。
審査員:古厩智之
大賞、というにはあまりに稚拙なところが多い。キャメラはフォーカスを外しっぱなし。ある俳優は演技が過剰で、演出もそれを制御出来ていない。脚本、監督は「語るべき中心、テーマ」を掴みきれているとはとても言えない。 しかし、他の映画にはないエネルギーがあった。映画としか言えない瞬間があった。撮らずにはいられなかっただろう「想い」があった。だからの「審査員特別賞」だ。 仏壇だけが光る居間に入ってきてテレビをつける。灯りに照らされる少年の横顔。あの部屋の空気…。 漁船で。氷をぶっかけ怒鳴る兄貴分。恨みの目で見上げる少年を一顧だにせずほとばしるように怒鳴り続ける…。 煌々と灯りを灯し、港を出て行く船団。漆黒としか言えない海へ…。人生ってこの船たちみたいかもしれない。お互いに触れ合うことはなく、光を放って闇の中をただ進む。誰かの光だけが「ひとりじゃないな」と互いを癒す…。 情景のカケラや人間の小さな表情が、もっと大きなものと繋がっているように思える瞬間がいくつかある。それこそが映画しか持てない素晴らしさなんだろう。
大林千茱萸賞「羊は楽園を探す」について
審査員:大林千茱萸映画の原点のひとつに、“驚き”という手法がある。ちょっと大袈裟な喩えになるけれど、それは例えばリュミエール兄弟による『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895年)。この50秒間の無声映画は、蒸気機関車が駅のプラットフォームに入ってくる様子を映した作品ながら、それを観た観客が「画面から機関車がこっちに向かってくる!!!」と、お年寄りが腰を抜かしただの大慌てで映画館から飛び出しただのという、映画ファンの間では愛すべき伝説となっている、映画草創期の作品。映画の「手法」事始めのような作品だ。 『羊は楽園を探す』はそれとは次元は異なるが、今回の応募作の中で一番“驚き”に満ちあふれている作品であった。オープニングは人里離れたどこかの森から始まり、「空」から「羊」が現れ、「女」が現れ、「男」が現れ、踊り出し、羊を触る。すべてが「突然始まり」、「説明は皆無」。この時点でなにか感想をと求められたとしても、「いい羊ですね」くらいの言葉しか見付からない。それでも男女が羊と共にどこかに向かうという、ギリギリ物語的な要素を多少はらみつつ映画は進行する。しかしそのどれもこれもはぶち切れた白日夢のようであった。やがて異物を削除しようとする人々や、神は7日間で世界を作ったが、人間が世界を学習するにはいったい幾千年の時を使い果たさねばならぬのだろう…云々…といったようなことが、ふつふつと断片的に私の頭に浮かんでは消えてゆく。 河合建監督の弁によれば「この映画は何だったのか?について語り合える映画を目指しました」そうで、そういう意味でも映画の余白を観る者がどう解釈するかで評価が大いに分かれる作品だが、得体の知れない、少なくともこの作品だけでは底の見えないドラマツルギーの沼 、シュールの楽園の中に、映画の可能性を感じたこと、この監督の次回作があるならば観たい思えたことは、ひとつの映画の未来に繋がるのではないだろうか。
柘植靖司賞「なまくら NAMAKURA 京在日記秘録」について
審査員:柘植靖司『全ての芸術は模倣から始まる』という言葉があります。どこかで見たことがあるような構成、ナレーション、セリフ、アクションもろもろ…この作品にはまさに『模倣』という印象を受けました。オリジナリティを感じません。すなわち、作品に意外性はなく、退屈でした。しかし、作者またはこの作品作りに参加した人たちは楽しかっただろうなと強く感じました。この作品は『映画制作ごっこ』だという印象を持ちました。私も幼い頃、田舎の田圃で『チャンバラごっこ』を夢中でやっていました。あの頃『模倣』したのは『隠密剣士』だったか…? 北野武監督は『映画作りは大人の最高のおもちゃだ』と話されたことがあります。映画作りにはどこかにある種、『ごっこ』の要素があり、「ああだ、こうだ」と大の大人が複数で何物かを作り上げる楽しさがあります。この作品の試写会は仲間内で盛り上がっただろうなと想像します。しかし、不特定多数の人々に見て楽しんでもらうには、『模倣』では満足出来ない、制作に携わる者たちの孤独な闘いが必要です。その闘いの結果が『最高のおもちゃ』として見る人の心を揺さぶるのだと思います。 この作品の作者と仲間の方々が私に映画作りの楽しさ、原点を想起させてくれたこと、そして皆さんが次なるステップの『ごっこ』の結果物を必ず見せてくれることを期待して賞を送ります。
古厩智之賞「カモン・ボルテージ」について
審査員:古厩智之「書けない、書きたくない、海へ行こう」とダダをこねる漫画家先生と嫌々付き合うアシスタント2人。 ダメ先生に呆れ半ばバカにしているようなアシたちが、実は先生に仲間意識があって、アンケートにズタボロ書かれてしまっている自分たちの連載漫画にも愛情と共犯意識がある…と分かるところにグッとくる。 一見、男子中学生が群れているようにしか見えないダメ男たちに職業意識や絆がほの見えるところが意外にハードボイルドでカッコよくもある。 ま、終始先生は自分に自信がなくて弱腰のヘニャヘニャなんだけど、だからこそ自分の漫画を読んでいるファンに偶然邂逅するクライマックスは感動した。どんな人にも光に包まれるような瞬間があるのだな。 ゴロンゴロン車から転がり落ちるカットとか楽しい遊びにも満ちている。作り手が映画を作るのを楽しんでいて、なおかつ登場人物を愛していることが伝わる掌編。