受賞作品紹介
平成26年6月15日(日)〜8月8日(金)に募集した、第12回自主制作映画コンテストには
ドラマ・ドキュメンタリー・アニメーションの134作品の応募がありました。
審査員と実行委員による審査が行われ、下記のとおり受賞作品が決まりました。
大賞
監督:竹内里紗 作品名:「みちていく」(89分)審査員賞
大林千茱萸賞 監督:高橋良多 作品名:「STELLA」(60分)
柘植靖司賞 監督:手塚瞳 作品名:「goodbye, raspberry.」(44分)
古厩智之賞 監督:塚田万理奈 作品名:「還るばしょ」(36分)
作品の鑑賞について
「みちていく」「STELLA」「goodbye, raspberry.」は上田市マルチメディア情報センターの映像ライブラリーにて鑑賞できます。
作品紹介
審査員コメント
2014年コンテスト総評と大賞作品「みちていく」について
審査員:大林千茱萸
12年目となる自主制作映画コンテストは、どういうわけだかこれまでの最多応募数となり、その数134本!? まずはその多さにしばし呆然。その後ハッと我に返り、すべての作品を偏らず平常心でフラットに見詰める。これは精神的にも体力的にも長い旅になる…という覚悟と責任と、これだけの応募数があることへの感謝、よろこびと共に、粛々と作品と向き合い始めました。
今年の傾向としては、登場人物たちの置かれた状況がとにかくつらい、苦しい、逃げられない、死ぬことばかりを考える、人を巻き込む、そして自ら命を絶つという内容の作品が、全体の半分以上を占めていました。この現象はここ数年右肩上がり。しかしこれまでは「それでも生きていればいいことも」と、命の大切さを描いた作品も多かった。しかし今年顕著だったのは、弱い立場の者は抵抗しても無駄。弱さを認めてこの世から消えますから放っておいてくださいという主人公たち。観ていて幾度となく気持ちを引きずられそうになり、正直復活するのに時間がかかりました。
その中において、大賞の『みちていく』には希望がありました。それはちいさくて、かすかなものかもしれないけれど、そこにはたしかに光がありました。とある女子校の陸上部に所属する、高校二年生の、ふたりの少女、みちると新田。まだ「ナニモノ」にもなれていない自分。うつろい、とまどい、不安定さ、不機嫌さの中でもがく、猫背の少女たち。
キャスティングが見事でした。ロケーションも丁寧に選んでいて、忍耐強く粘って撮りたい絵を紡ごうとしている姿勢も、きちんと作品に反映されていました。ときおりキャメラがふっと俯瞰になる、その主人公たちとの距離感も良かった。監督は22歳。撮るほどに可能性が広がってゆくことを期待させてくれたこともあり、大賞とさせて戴きました。
最期に…。
うえだ城下町映画祭実行委員長を務めていらした、
映画評論家の品田雄吉さんのご冥福を心よりお祈り致します。
合掌…。
審査員:柘植靖司 コンテスト総評
手軽な映像機器の発達により、非常にバラエティに富んだ、技術的にも感心する作品が多くあったと思います。テーマもバラエティに富んでいましたが、やはり昨年同様に『真摯に内向きに対面している』のものが多かった感があります。内に向き合っている分、他者に見てもらうという観点から言えば、『表現したいこと、気持ちは何となく判るけど…』という作品が多く、少々退屈でもありました。確かに今や『ツイッター』で呟くように映画を撮ることが出来るのですが、観客という存在を意識していないと最後まで見せ切る事は出来ないし、伝えることが出来ない。ここに応募された作品のほとんどが自主制作作品で様々な制約の中で作家たちは日々の撮影をこなして来られたと想像しますが、撮影の前に『他者に見せる』ということを念頭に、綿密な時間を費やすことも重要であると感じます。
また、今更ながら、女性の作家の作品が多いことに驚きました。…しかも、その作品の方が面白い…。『頑張れ、男子!』が今年の審査を終えての感想でもありました。
審査員:柘植靖司 大賞作品「みちていく」について
キャラクターの設定とそのキャスティングの成功が大きく作品の完成度に貢献していると感じました。キャスティングが的確であることは、作家が表現したいことが明確になっている証であり、俳優の演技力の粘度、監督の演出力とはまた別に、映画全体がある雰囲気を醸し出し、観客を導いてゆく。少女と大人との中間にある主人公たちの不安定で不確かな自我、人間関係がよく伝わってきた。『月が満ちていく』というより、『地殻が固まってゆく』という印象を受けた。みちるが何度か「…解らない」と呟くのに対して、保健の先生や主人公の姉が「大丈夫…」と呟くのが、そうした年齢を通過してきた女性たちの『優しさ』でもあり、作家の主人公たちに対する『応援』でもあろうが、少し『答え』を急ぎ過ぎた感を持ちました。演出が細部にまで行き届いていない口惜しさは感じましたが、今回のコンテストの中で、表現したいことを自らのスタイルで描ききった完成度はトップクラスであったと感じました。
審査員:古厩智之 大賞作品「みちていく」について
ポカンといつも何かに驚いている主人公・みちるがよかった。あのポカン。何かを前にただ立ち尽くしてしまうという…。
人間てそういう丸太みたいなものでしかないなあ、本来…と思う。
友人の元部長は喫茶店という居場所を作り、他者を発見し緩やかに自分を発見していく。
それに比べみちるは彼氏のアパートも居場所にはならず、彼氏に自分を噛ませても確かなものは得られない。
部長という役割を演じても自分はいつまでも見つからず混迷を深め、揺らぎ続けて行く。
その揺らぎが素晴らしかった。
何者でもない…というところに留まり続けるみちるは性急で怯えていて美しい。赤ん坊のようだ、と思う。イノセンスだが大怪我をしてすぐ死んだりどこかに行ってしまいそうで怖い。
だから元部長が訪ねてきて、ゆっくりと少しだけ自己を認識するクライマックスにはホッとした。
あの月夜は美しかった。
大林千茱萸賞「STELLA」について
審査員:大林千茱萸オープニングの海、音楽、人の手、ビルに映る影、その心ざわめく感じにはじまり、不自然なエキストラたちの動き、登場人物たちの滑舌の悪さ、奇妙なフレームの切り取り、デフォルメされた演出、過剰な音楽、噛み合わないものがたり、謎の光、浮かぶ人、香水、流れ星、いきなりの宇宙からの使者、映り込むカメラの影、極端なショット、青い妊婦たち、手ぶらでペタペタと校内を歩く少女、池に落ちたのに濡れてない少女、「もう歩けない」と云った直後に駆けてゆく少女、電信柱から墜ちる人をみて「遅刻しちゃう」とのたまう少女、シャラマン的にバタバタと倒れてゆく人人人、ベンジャミン・クリステンセンの映画、正三尺玉の花火、煙、夜明け、「ステラステラステラ」棒読みシュプレヒコール!!!!!!!
とにもかくにも全体を通して全編がすばらしく「変」であったことに惚れた。134本の応募作品のほとんどが優等生的にきれいにまとめられていたのに対し、『STELLA』はぜんぜんまとめ切れてないけど飛び抜けて誰にも似ていなかった。有機的にざらっとしたゴシックロマンホラーの手触り。この作品で満足されては正直困るし、そんなこともないだろうと信じるけれど、これをいまここで救わねばという妙な使命感が燃え上がった。なんだか知らないけど、この人の撮った映画を次も観たいと、ざわざわと勝手に心が騒いだ。…という理由での賞であります。ご迷惑かも知れませんが、おめでとうございます!
柘植靖司賞「goodbye, raspberry.」について
審査員:柘植靖司企画、準備段階でよく練られた経跡を感じました。しかし、半練り状態、もしくは捏ね回している間に最初にイメージしたものに形成していかなかったのでは、という印象を受けました。映画は共同作業ですから、多くのスタッフの様々な意見が反映されますが、作家の描きたいこと、イメージ、または核のようなものがしっかりしていないと、スタッフの意見の選択に振り回され、全体としてぼやけたものになる可能性があります。
この作品が作家の強い意思、リーダーシップで制作されたものか?またチームスタッフによる共同作業が強く反映されたものなのか?いずれにしても、映画製作に必要な『練る』という行為、時間をこの作品から感じました。私の賞の選択基準は『この監督と仕事をしてみたい』ということを大きな基準にしていますが、今回はそれに加えて『この監督(またはチーム)の次の作品を見てみたい』と思い、『柘植賞』とさせて頂きました。
幾つかのいい(好きな?)台詞がありました。
個人的には、作者が主人公や少女たちをどのように捉えているかというより、男性教師(または男子)をどのように捉えているのかということにちょっとゾッとさせられました。
古厩智之賞「還るばしょ」について
審査員:古厩智之拒食症、過食症の話。
その根本にある不安定さ、自分がどこに立っているかわからない感じ、自分がぐにゃぐにゃと不定形…という人間の根源的な不安を描こうと立ち向かっている。 思えば子供の頃ってみんなそんなもんじゃないでしょうか。「お前はウチの娘だよ」とか「花子って名前だよ」と言われるから「そうかな」と思うだけで。人間は元々、大した形を持ち合わせてない。
そんなある種、子供のような女性が主人公。自分の立っている地面がいつも揺れてるような彼女をキャメラは寄り添うように、だが踏み込まずに追う。 空洞を埋めるように食べてみても何も埋まらず吐くばかり。
彼氏が自分を透明であるかのように自分を通り越して壁を見ている、それにホッとする…。自分がぐにゃぐにゃなことは誰よりも自分が知ってるので、愛を込めて見つめられたりしたら困るのだ。
そんな揺れている彼女の良いシーンが幾つもある。夏の夕暮れ、仕事帰りに歩く長回し。歯磨きの途中で口から歯磨き粉を流して立ち尽くす。駅のホームで周りの世界が突然遠ざかる…。
キャメラが踏み込み過ぎず「ただあなたの隣にいることしか出来ないよ…」という節度で寄り添うから、観ているこちらは主人公に手を伸ばせなくてもどかしい。と同時に、とても大事なことに気付く。
人はみんなひとり。だからこそ手を伸ばしたくなる…ということに。
皆の手を拒否して自らひとりになった主人公・ちかげがこちらに戻ってくるとき、自分の目にいつのまにか素直な涙が滲んでしまっていることに気付いた。