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第20回うえだ城下町映画祭で行われた、トークと自主制作映画コンテストの表彰式についてご紹介します。

11月18日(金)古厩智之監督ゲストトーク/上田映劇

古厩智之監督ゲストトーク 古厩智之監督が、日本大学芸術学部3年生の時に撮り、1992年ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを獲得した「灼熱のドッジボール」を上映しました。

 古厩監督は、小さい頃に松本で8mmフィルムのゾンビ映画など撮っていたそうです。「灼熱のドッジボール」を作った経緯については、日本大学芸術学部映画学科の授業で、16mmフィルムで15分の作品を撮る、という課題だった。 最初はなにを題材にしたらいいかがわからなかったが、きれいな女の子を遠くからじっと見ていて、近づいたら離れるというような、遠くにある、素晴らしいものを見ている感覚を撮りたいと思った。インド映画のような動きのある作品にしたくて、「近づいたら離れる」というドッジボールにした。また、漫画っぽいけど微細な感じを描きたかったとのことです。
 撮影に行くのが面白く、ワンカット撮ったら満足して昼寝したり、遊びに行ったりしていたら、当初4日位のはずが、8月から1月までの6か月の長期撮影になった。途中でわき役の女性が髪型を変えてしまい、直すのが大変だったという裏話も。
 プロになるには?という質問に対しては、自分の時と今とでは自主制作映画の状況が違うということを前提に、自分の時は映画を撮るのは大変で特殊技術のように思われ、うまく引っ張りあげてもらった。今の方が技術は発達してたり、志さえあればプロとアマチュアと同じところにいけるという、ある意味すごい自由もあり、間口は広いが、閉塞感もある。厳しい状況なのではないかと思っているそうです。
 映画を作るには、ノウハウよりも、感じるものがあるかどうかが一番大事。
 また、機会があればぜひ故郷の長野県で撮りたいとおっしゃっていました。
 14回審査している自主制作映画コンテストについては、プロを目指している人の応募がある一方で、素人の撮る楽しさが充満した映画が毎年来ているのが特徴なのではないかとのことでした。

11月18日(金)第13回自主制作映画コンテスト表彰式/上田映劇

自主制作映画コンテストの表彰式が行われ、松本恵さん、高橋良多さん、塚田万理奈さん、キム・テヒョンさん、たかひろやさんの代理の方に表彰状が授与されました。また審査員からは講評を、各監督からは受賞の感想をお伺いしました。
自主制作映画コンテストのノミネート作品上映会では、18作品を視聴覚室で上映しました。
第13回自主制作映画コンテスト表彰式
ノミネート作品上映

11月19日(土)ゲストトーク 関本郁夫監督、渋谷亜希さん/上田文化会館

ゲストトーク 関本郁夫監督、渋谷亜希さん 2002年に海野宿などで撮影され、公開された「およう」について、関本郁夫監督と、おようを演じた渋谷亜希さんをお迎えし、トークを行いました。

 関本監督は、「およう」が初めて自分で企画し、お金を出して作った作品。団鬼六さんの「外道の群れ」が原作。自分は絵描きの人の話がとても好きで、竹久夢二などは絵と裏腹にキャラクターがはちゃめちゃで驚いた。二人の画家に愛されたおようを撮りたかった。おようが東京に出てきて二人の画家の間で漂い、大人の女性として魅力的になっていくが、最後には両方ともに別れを告げて新しい人生を生きる、という非常に難しい役。おようのキャスティングはなかなか決まらなかったが、渋谷亜希さんを見て一目でこの人だと思った、とのこと。
 渋谷さんは、自分と監督との出会いは大きい。つかこうへい劇団にいたが、当時は演技の経験が浅かった。監督から細かく演技指導が入り、不安なく現場に立てるようにしてくれた。おようの心を教えてくれたのは関本監督だったとおっしゃいました。
 関本監督は、海野宿で撮影したことについて、半年ほどロケ地を探していたが、大正時代なので難航した。海野宿は上山田の後に昼食でたまたま寄って、ここでなら撮れると思った。フィルムコミッションが近くの上田にあるのも心強く、立ち上げた人が東映の先輩だったのでずいぶんお世話になった、ということでした。
 渋谷さんは、アメリカで育ったので、日本の地方に行ったことはなかったが、上田に素晴らしい場所がたくさんあった。映画の力は土地の力も大きく、演じる側も自然に演技が引き出されていく感じがした。また、メイクや照明など職人技のスタッフのサポートも素晴らしかった。15年前というとフィルムからデジタルに切り替わる時期で、フィルムで撮るという貴重な体験もさせてもらった。
 関本監督は「およう」が縁で年の半分は上田にお住まいです。上田の築200年くらいの空き家の古民家を紹介してもらった。桜が咲くころや新緑の美しさはこたえられない。千曲川で鮎を獲って渋谷さんにもご馳走したそうです。
 渋谷さんは、現在NHKの国際放送「ニュースルーム東京」でキャスターをつとめていますが、チームで番組を作るということを、映画で経験していたので力になっていると思う。また、おようとして、20代半ばまでの女性としてのいろいろな経験をすることができた、とお話しなさいました。
 最後におようにも出演したエキストラの方などから花束贈呈をしました。

11月20日(日)トークセッション 大林宣彦監督、入江悠監督、鶴岡慧子監督/上田文化会館

上田にご縁のある監督お三方の作品「告別」「ジョーカーゲーム」「過ぐる日のやまねこ」を上映し、「これからの映画づくりー地方都市と映画ー」をテーマにお話しを伺いました。

 入江監督が大林監督の作品を初めてご覧になったのは「水の旅人」、鶴岡監督は「転校生」。お二人とも作品の影響がずっと残っているとのことでした。
 大林監督とのご縁については、入江監督はお会いした時に、商業映画を撮るときの心構えを教えてもらい「ジョーカーゲーム」の撮影に生かした、鶴岡監督は、大林監督が「告白」を撮ったときに上田で講演会をしたことがきっかけで、ビデオカメラを買って映画を撮り始めたとのこと。
 大林監督は、入江監督の「サイタマノラッパー」についてワンカットワンシーンの手法で、そこに息づく人の時間が表現されて素晴らしかった。また、背景の人と手前の人の演技のタイミングがぴったり合っているのは、何回もリハーサルを繰り返し生まれた緊張感が、デジタル時代のメリットだと思うとおっしゃっていました。
 鶴岡監督の「過ぐる日のやまねこ」については、地元の人しか知らない場所が自然に入っている。また、映像で動くものの質感が表現され、子供の頃から映像に親しんだ人でないと掴めない感覚だと言及されました。
 3監督と上田との関係については、大林監督は、うえだ城下町映画祭に来て、スタッフみんなが自分の作品をホールで観ていたことで上田はいい映画の街だなと思い、「淀川長治物語」を撮った。
 入江監督は2回自主制作映画コンテストの大賞の賞状を見て「僕、まだ映画を撮っていいんだと思って帰った」。新作の「22年目の告白―私が殺人犯です―」は軽井沢と佐久で撮ったが、いつか上田に来たい。
 鶴岡監督は、撮影や上映の時もすごく応援してくれる。新潟の燕三条で映画を撮ったが、職人の街の受け継がれてきたものが街中で見えてきて、その感覚を上田に持ち帰りたいとのことでした。
 大林監督の新作「花筐」については、40年前に作ろうと思っていた。壇一雄さんの小説、戦争になってころされるのは嫌だという若者の切羽詰まった想いを映画にして伝えたい。
 大林監督から若い作り手へのメッセージとして、映画は時代を表現しているので、映画の歴史を学んでほしい。映画史120年の作品を観てきたが、僕が観た映画をあなたたちが観たら、昔の映画とつながっている。黒澤明監督は「映画の力で戦争をなくしてみせる。映画にはそういう力と美しさがある。」と言った。映画を作る若い人達がこの思いを引き継いで、平和な時代を作っていってほしい。それを支えてくれるのが観客、それを観て感じて広げてくれるのが映画を愛する観客、と結びました。
トークセッション 大林宣彦監督、入江悠監督、鶴岡慧子監督