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第18回うえだ城下町映画祭のゲストトークと自主制作映画コンテストの表彰式の様子をお伝えします

舞台挨拶 古厩智之監督・唯野未歩子さん

「『また、必ず会おう』と誰もが言った。舞台挨拶 「『また、必ず会おう』と誰もが言った。」の上映の後、古厩監督と、映画に出演した唯野未歩子さんご夫婦の舞台挨拶がありました。
 映画監督としての古厩さん、女優としての唯野さん、それぞれの仕事のスタンスなどを紹介していただきました。お互いが、尊敬し合ってらっしゃる雰囲気が伝わってくるお話をお聞かせくださいました。

ゲスト対談 古厩智之監督・鶴岡慧子監督

古厩監督・鶴岡監督対談 古厩監督は塩尻市、鶴岡監督は上田市とお二人とも長野県出身、また、共にぴあフィルムフェスティバルでPFFアワードを受賞しているという共通点をお持ちの2人による対談を行いました。

(鶴岡)古厩監督の作品で好きなのは「ロボコン」。作品はオリジナルでしょうか?
(古厩)そうです。ロボコンのことは全然知らなかった。映画にしようという話があって、勉強して脚本を書きました。
(鶴岡)ロボットの動きは脚本どおりですか。
(古厩)どうやったらスリリングに勝てるか、ということは考えながらやりますが、ロボットの動きなので偶然はつきもの。本物の競技用のロボットは2,3回動かすと壊れてしまう。3回目でラストの撮影、という時にロボットが運んでいた箱が落ちてしまい、まずいと思ったがうまい具合に他の箱の上に着地しました。
(鶴岡)偶然を映画に取り込んでいるのは、映画としても面白さに繋がる。狙ってできる訳ではないので、常に取り入れる懐の深さは持っていたいです。
(司会)古厩監督は鶴岡監督のことはご存じでしたか。
(古厩)上田の人がPFFで賞をとって菅平出身の人らしいということは聞いていましたが、自分の両親も知っているスーパースターでした。
(司会)同じ信州の出身としてはどうですか。
(鶴岡)上田で撮影しているし、現段階はオリジナルの脚本ばかり書いているが、自分の故郷を意識した作品になってしまいます。
(古厩)鶴岡さんには故相米慎二監督に似た雰囲気を感じる。「あの電燈」では、肌のまわりや空気がひんやりとして、広いところの草がざわざわしているのを歩いていく雰囲気があり、そういえば菅平の子だったんだ、と思う。上田は塩尻よりも湿度がなくて空も青い。肌がぴーんとした感じがしてその中をスタスタ歩いていく感じがよかった。
(鶴岡)「あの電燈」は自主作品で好きなことができる最後のチャンスだと思いました。自分の感覚だけを頼りに描いて書きました。感覚的な部分だけを重視していて、物語がなくて幼稚だなと思ってしまいますが。
(司会)誰もいない街が出てきますが?
(鶴岡)誰もいない街という設定は、「あの電燈」を取ったのが2013年で、震災後に本格的に映画を撮るという時、これからの人はどういう映画を作るのかという中で、震災というものがぬぐえずにいました。日本の中に誰もいなくなった街が実際に出現しているという現実がとても引っかかっていて作品にしてみようと思いました。
(司会)次回作については。
(古厩)来年の2,3月に撮れればと思っています。
(鶴岡)11月の頭にPFFスカラシップの作品「過ぐる日のやまねこ」の完成上映会をここでやりました。9割くらい上田で撮りました。色々な状況を加味しても地元で撮るのがいいですね。
(古厩)ずっと上田で撮ればいいのに。
(鶴岡)よく言われます。自分としては特に意識しているつもりはないのですが。
(司会)では最後に古厩監督から鶴岡監督にエールを、そして鶴岡監督から古厩監督にメッセージをお願いします。
(古厩)「あの電燈」を観て、自分の好きなものばっかりでやっているなぁと思ったが、自分は遠ざかっているような気がしました。自分の好きなものをやらないで、自分の夢を撮らないで人の夢を撮ってどうするのと、逆に叱咤された思いになりました。
(鶴岡)「ロボコン」を観て、日本映画は面白いんだぞということを皆さんにも知っていただきたいと思いました。古厩監督ももちろんですが、こういう面白い映画を撮る監督さんにもっと映画を作ってもらいましょうと皆さんに伝えたいです。

第12回自主制作映画コンテスト表彰式

 12回目の自主制作映画コンテストの表彰式は、大賞の竹内里紗監督、大林千茱萸賞の高橋良多監督、柘植靖司賞の手塚瞳監督、古厩智之賞の塚田万理奈監督をお迎えしました。
表彰式では各審査員から大賞、審査員賞が授与され、審査員からのコメントと受賞監督から感想をお聞きしました。
 大林審査員から、今年の傾向として、全体として精神的につらい、苦しい、自殺をする、いじめられるという作品が134本のうち、半分以上占めており、ここ5,6年そういった主題が増えている。その中でも弱いものはもう弱いんだ、もう戦ってもしょうがないんだ、弱いことを認めますという風潮が強かった。
 その中において、大賞の「みちていく」は希望があった。弱さに甘んじてしまう、その現状、つらい苦しい思いを描くこともとても大切だが、映画は総合芸術として未来に希望を残したい、みちていくにはその希望がほのかにあった、という総括をいただきました。
 大林千茱萸賞の「STELLA」については、独特のクラシックでゴシックホラーの世界観があり、いい意味で「変」な作品。134本のうち一番記憶に残った作品として自信と覚悟を持ってお見せしますということでした。
 柘植靖司賞「goodbye, raspberry.」は柘植審査員から、ぜひ次の作品も見せてほしいということでした。
 古厩智之賞の「還るばしょ」については、古厩監督のコメントで、拒食症、過食症の主人公が、自分がどこに立っているか、自分が何者かも分からないしという不安の中、もう立っていられないという状況の中で、最後になんとか立っていく。自分の体験に向きあって作品が撮れてよかったと思った、ということでした。 第12回自主制作映画コンテスト表彰式

「サムライフ」完成記念トークショー 森谷雄監督・長岡秀貴さん

「『また、必ず会おう』と誰もが言った。舞台挨拶 上田市にある「侍学園」を設立した長岡秀貴さんと仲間の奮闘を描いた「サムライフ」。2015年2月7日より県内(上田TOHOシネマズ、長野ロキシー、山形村アイシティシネマ)で先行上映されます。それに先立ち完成記念トークショーが映画祭で行われました。

 「侍学園」は、長岡さんが「生きづらさ」を感じている人の支援のため、新しい生き方、新しい価値観が持てる学び舎があってもいいと思い、2004年に設立した民間の教育施設。これからどういう人生を歩んでいくのか決意した者、覚悟した者たちが教育を受けて、社会で自立するために頑張っています。
 そのストーリーを本にした「サムライフ」を森谷監督が偶然目にし、本を買ってから一週間後には会い、映画化したいという話をしたそうです。
 森谷監督は、長岡さんから、自分の本が映画化されるという夢のようなことが起こるわけだから、森谷さんも自分の夢を実現して監督になってくださいと言われました。テレビや映画のプロデューサー業をしている森谷監督にとって、初めての監督作品になります。
 撮影は3月末から2週間、上田の人に温かく迎えてもらい、順調に進みました。上田で映画のロケなどが頻繁に行われているということは予備知識としてあり、全部上田で撮りたい、夜遅くのロケでもエキストラの皆さんに盛り上げてもらって臨場感のあるシーンが撮れ、「映画の街」なんだな、と思ったそうです。
 長岡さんは、撮影の時も参加していることが多く、役者の三浦貴大さんについては、自分がどうやって立っているか、どういう癖があるか、どんなしゃべり方をするかなどを頭に入れていて、不思議なことに自分が三浦さんに見えてきたということです。
 作品の見どころとしては、森谷監督は映画にしたかったのは、5人の若者が目標に邁進していく力、夢を実現することの青春群像劇。「夢はかなうよ、信じなさい」というメッセージを若者に伝えたいということです。
 長岡さんは、普通の人がお金もコネもなく、人の幸せのために何かを作り、過去は変えられなくてもこれからはどうにでもなるという事を伝えたい。監督やキャスト、スタッフ皆さんに感謝し、自分が現在生きている上田という街を全国に広げ、発信できるのが嬉しいということでした。

ゲストトーク 劇団ひとり監督

上田映劇でロケされた「青天の霹靂」。撮影していたその舞台上で、劇団ひとり監督のトークが繰り広げられました。

 監督としての仕事は、今まで一人でやってきて、人にお芝居をつけることがなく、小心者なので強く言いづらかったです。医者役をお願いした笹野高史さんが、おねぇキャラで役作りをしてきた時は、自分のイメージと違っていたので、やんわりとお断りしました。
 風間杜夫さんのキャストは、脚本を書いていた3年前当初から支配人の役、として決めていました。風間さんは落語家でもあり、演芸場の雰囲気を知っているのでいいと思いました。
 撮影できる劇場を探している時は、夜間しか使用できなかったり、外観も一切触らないでほしいということで、条件の合うところがなかなか見つかりませんでした。
 そんな時にスタッフから上田映劇を紹介されました。外観はイメージと違っていましたが、客席の雰囲気がとてもよかった。客席の後ろから支配人が覗く穴も、開けてもいいかどうか聞いたら快諾してもらいました。
 この劇場のことを知ることができたのは、地元の方の強力なプッシュのおかげです。上田でいろいろな映画が作られていることは後から知りました。
撮影期間中は上田を堪能できませんでした。お弁当しか食べていません。
地元の食事を堪能していたのは大泉洋さんです。他のキャストの方と頻繁にごはんを食べに行っていたようです。
 上田映劇で上映をするのは初めてで、ここでずっとやりたかったです。チンとペペが立っていた舞台、風間杜夫さんが覗いていた穴がまさにこの場所で、臨場感があり、「青天の霹靂」を観るのにこれ以上の場所はないと思います。
 上田の街と出会わなかったらこの映画は成功できなかったです。もし、また映画が撮れる機会があったら、皆さんの力をまたお借りしたいと思います。