|
DATA |
No | |
72-02 |
|
年代 | |
1972 |
|
種別 | |
ニュース映画 |
|
タイトル | |
山荘へ強行突入 |
|
|
|
|
時間 | |
0:06:23 |
|
地域 | |
北佐久郡軽井沢町 |
|
製作会社 | |
日本映画新社 |
|
分類 | |
歴史的出来事 |
解 説
|
|
連合赤軍が牟田泰子さんを人質として軽井沢の浅間山荘に立てこもって以来、激しい抵抗と地理的条件にはばまれて救出作戦は難行した。
犯人の親達の度重なる呼びかけにも、かたくなに閉ざされた彼等の心は、ただライフルの銃撃で答えるのみだった。
泰子さんの夫、郁夫さんは「無益なことをやめて、泰子と一緒に外に出てきてください」との悲痛な訴えは、むなしく繰り返されるばかりだ。
すすまぬ犯人逮捕に野中長野県警本部長は日増しにあせりの色を濃くした。
事件発生から十日目の二月二十八日、ついに警察は、警視庁機動隊やレンジャー部隊など千五百人の警官を出動させ、強行突入へ踏み切った。
午前十時、突入作戦を開始した。
クレーン車につるされた重さ一.五トンの鉄の玉が玄関わきの壁を破壊し、無差別な犯人の銃撃に対しては高圧車の激しい放水が応戦する。
防弾チョッキに身を固めた突撃隊員が、ガケ下から非常口に取りついた。
堅固なバリケードを排除しながら一階を、続いて二階を解放したが、人質も犯人も姿を見せなかった。
十一時半、三階の玄関わきから約二十人の隊員が、犯人の隠れている室内へ突入した。
この時、指揮をとっていた高見警部がライフルで頭をうたれ、昼過ぎに病院で死亡した。
さらに左目をうち抜かれた第二機動隊の内田隊長も死亡するという異常事態となった。
二階から三階へと追いつめられた必死な抵抗に次々と負傷者は続出して、人質の安否も確認できないまま、救出作業はこう着状態となった。
午後三時半。救出作戦再開。犯人のひそむ天井裏と、三階の洋間に向って、矢つぎ早にガス弾が撃ちこまれた。
ガスにいぶされた犯人が、遂に、窓を開けた。手には、しっかりと、ライフルが握られている。夕闇み迫る中、警官隊が次々と天井裏へ。ライフルと放水の激しい応酬。
午後六時十分。三階の洋間に入った警官隊は、無事に泰子さんを助けだした。よかったという雰囲気がただよう。丸九日、二百十八時間ぶりの救出だ。
その場で全員逮捕された坂口、坂東ら五人の連合赤軍。
それにしても、警察の払った犠牲は大きかった。確かに、ゲリラは、日本全国の茶の間の目を集めることには成功した。だが、そこから何が生まれるというのか。
息子が犯人と分った時、坂東の父親は自殺した。 |
|
|
|